今日で阪神大震災から12年。
1月17日がくるたんびに当時のことを思い出します。

私はまだ銀行員をやっており、大阪にある銀行の寮に住んでいました。
丁度、日本銀行の検査(日銀考査と言ってました)が入るため、一ヶ月くらい休日返上で夜遅くまで働いておりました。
(銀行には3年に一回くらいの頻度で、日本銀行の検査が定期的に入ってました。)

1月17日あたりは成人の日のため3連休だったのですが、3日とも休日出勤してヘトヘトでした。
相当疲れが貯まっており、地震で一旦目が覚めたにもかかわらず、また寝てしまいました。

7時くらいに寮の先輩等に叩き起こされ、エライ事になってるのを知ったのはその時です。
間もなく西宮の実家の兄から、家が倒れ掛かってると電話が入りました。

父が病気だった事もあり、避難の手伝いのため実家に車で戻ってきて欲しいと言われたのですが。
”今は日銀考査の準備でそれどころじゃない”と答えたのを覚えています。

その後、実家が心配で何度も連絡したのですが、まったく電話が通じず。
結局心配のあまり、仕事が終わって大渋滞の中を車で実家に戻ったのは夜中の11時を過ぎてました。

町中にガスと火事の異様な臭いのが漂う中、ピサの斜塔のように傾いた実家を見た時の衝撃は忘れられません。
幸い一気に倒壊はしなかった為、家族は全員無事だったのですが。

私が生まれてから大学を出るまで22年間過ごした実家は取り壊されました。
今でも、あの時の兄の”帰ってきてくれないか”という電話に”忙しい”と答えた自分の気持ちに少し後ろめたさがあります。

弟である私を頼る事などほとんどない兄からの電話でしたので、なおさらです。
あれほどの大惨事とは分からなかったし仕事が本当に忙しかったとはいえ、なぜ飛んで帰らなかったんだろうと今でも思います。

震災ではいろんな事を考えさせられました。
自分にとって本当に大切にしなければならないものは何か。

とっさの時にこそ、人としてのありようが問われるのではないか。
今年もそんな事を考える1月17日です。